人質キルシュ

よくある話とよくない話

タクトオーパスとノーゲーム・ノーライフ

おはようございます。悪夢を見ましたが私は元気です。

唐突ですがタクトオーパス、良いアニメでした。タイタンちゃんが推しですが運命ちゃんも可愛い。音楽モチーフということですが浅学ながら詳しくないのでフィーリングで楽しんでいました。異能を持った美少女が闘う作品は大体良いです。

朝から何を書いているのか、何を書こうとしていたのかも忘却の彼方ですが何となく時間が余っていたので。

そういえば、最初の記事に書いていたニックネーム、ハンドルネームの由来、当時好きだった人の名前にも影響されていました。書き忘れていたので追記。

只今ノーゲーム・ノーライフの11巻を読んでいるのですが、最初に主人公の空が「出会った人としか恋に落ちれないなんて間違っている!」と憤るのですがそこを「普通人はであった人としか恋に落ちないものですわよ」と従者のステフに言われる場面に、嗚呼、そういえばそうなのか……となりました。
学生時代、私はインターネットに居た時間の方が長かったので現実の恋というものよりも二次創作にどっぷりだったので切実に二次元へ行ける方法を求めていました。しかし今過去の清算を迫られ、淡い初恋(×2)の記憶が忘却の彼方なのでとても困っております。
ヤングケアラーだったのでそれでいっぱいいっぱいであり、同級生に対して好意を抱いても自分の胸の内に留めるだけであり、既に長い時間が流れてしまっているので当時になにがしかがあったような記憶があるのですが忘れてしまいました。相手が覚えている私と、今の私が違うのではないか、そもそも他人から見た私は本当の私なのか。

そもそも人と関わることを忌避していたので、やはりパソコンだけが友達のようなものでした。けれど空白期間を得て社会復帰し、今では多少人と関わることが出来るようになってきた気がします。

けれど本質的には独りが好きなので他者と交流することはやはり難しい。けれど、誰かの音楽が、小説が、映画が、アニメが、ゲームが、私というものを形作ってきたことには変わりはないので、人と完全に関りを断つということは無いのであろうなとも思います。
タクトという歌の中で、「寂しくないよ そこにいるから」という歌詞がありますがそうなのです。私は独りでも、この歌の中に私たちが居るから。

小学生の時、幼稚園の頃が一番良かったと思っておりました。それは妄想であったかもしれない初恋と数々の友達、キリスト教の教え、行事、動物の世話、遊びなどで満ちていたからでありました。
小学生になって、別に好きな人も出来ましたがあまり交流を持てなかったので幼稚園の彼の方が記憶の比重が高いのですが、上記のように何かはあったのかもしれません。しかし覚えていない。覚えていないことは、幼い頃になにがしかの虐待のような行為があったかもしれない、ということも同じなのですが、それは最近似たような話を見つけてフラッシュバックしてきておりました。

曖昧な記憶は現在のように記憶装置が無かった頃のことなので取り返せません。どうにか思い出したいと思っているのですが、何分年を取り過ぎました。姉妹には「過去でなく未来を見なきゃ」と言われているので、どうしようもないことはどうしようもないこととして新しい出会い、今の出会いを大切に、また新しい誰かに出会えたら良い。そう思います。

ただ、夢であった「記憶の中 最初からを本にして 窓辺で読む」ということはもう出来ているのかな。幼い頃のことも、似たような話はあるのでそちらで補完できるでしょうか。但しそれは本当のことではないのかもしれませんが。

f:id:hashigre:20220510092048j:image